[PDF版はここをクリックしてください]景色通信Vol.41
『雨に映える極彩の舞』
武州平井の妙見宮は関東最古の西暦685年に開創された。別名を妙見菩薩とも呼ばれ、星の神様・運命の神様として親しまれている。その後、韓国より材料ばかりか職人まで呼び寄せて再建されたという珍しい寺だ。環境色彩研究会では昨夏の視察につづき、東京都西多摩郡日の出町で毎年5月3日に催される妙見宮例大祭―“妙見まつり”見物に訪れた。
まつりでは、山頂と舞台の二か所で並行して行事が行われる。私たちが到着した時には、ちょうど山頂での開運祈願・祈祷護摩神事の時刻で、珍しく古いお札のお焚き上げが行われていた。妙見宮の本尊は七星殿と称され、天井には常に北の空の中心にある北極星を、運命をつかさどる妙見様として囲むかたちで、中央には星曼荼羅と四天王、東西には三十六禽と十二天といった三部構成の星曼荼羅が描かれている。何と言っても目を見張るのは、その極彩色の色使いと顔料の艶みのない質感である。なぜか鮮やかながらも落ち着きをもち、親しみを感じさせる。舞台では、これもまた五色鮮やかな衣装をまとった舞踊が、韓国から来た伝統芸術団により繰り広げられ、静と動の見事な組み合わせによる舞を堪能することができた。
午前中に予定していた奥多摩の桧原自然探索は記録的豪雨のため、あきる野市街散策に変更した。マンホールの装飾に地元らしさが溢れ、意匠も中央の梅の花うぐいす(?)から放射状に梅の木が生えていて力強い。また、秋川街道始点近くの住吉神社の参拝では、何やら手にお道具を持つキツネの出迎えがあって印象的だった。妙見宮訪問の帰路立ち寄った禅寺の廣徳寺では雨も止み、門をくぐると一面浅い湿地が出現。静けさの中、自然と共生する生のままの色と質感、萌ゆる緑など、日本の色の美しさが醸し出す凛と澄んだ様子に見とれて、一同懇親の会を持って散会した。(網村眞弓)
五色の鮮やかな衣装の韓国伝統芸術団の舞
山頂の妙見宮での古いお札のお炊き上げ
住吉神社のキツネが持つこの道具は?
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『ポトマック河畔の桜』
ワシントンDCのポトマック河畔の桜の花ではなく樹を見る機会が訪れた。
2012年は、東京市の名でワシントンに約3,000本の桜が贈られて100周年にあたり、この桜は1912年に、東京府江北村(現在の足立区と埼玉県の一部)の荒川五色桜78種から選ばれた11種の桜が挿し穂(木)として選ばれたものである。
染井吉野、有明、普賢象、福禄寿、御衣黄、一葉、上匂、関山、御車返、白雪、駿河台匂の11種である。
DCのポトマック河畔の桜の開花日は、4月6日から25日とされているが、今年は暖かく一月位早く満開になり、私たちが到着した4月14日には花が終わっているという不本意な状態となっていた。
そもそも、ポトマックに行ったのは日米桜交流100周年記念のイベントの一つに足立区と荒川河畔のコーラスグループを組織して市民交流コンサートを、ワシントンの桜まつりの舞台とニューヨークのカーネギーホールで公演することになり、私の妻がコーラスをバックに日本舞踊を披露するというプログラムが組まれたために随行した次第である。
ポトマック河畔に1912年3月27日にタフト大統領夫人により最初に、植樹された染井吉野が衰えながらまだ樹勢を保っているのを確認した。
此処の桜と日本の桜を比べると、風土と気候の差によるものか、100年という歳月によるものか、姿かたちが違い、樹皮の風合いも異なっていることが感じられた。
老木は高い大木になり、若木は空に向かって形よく枝を伸ばし、根元は芝生をくりぬいて腐葉土を盛り上げた手入れが至る所で見受けられた。桜がアメリカの地でも土着し、愛されていることを感じた。(永田泰弘)
参考文献:「日米友好のシンボル ポトマックの桜 100周年を迎える名勝」
石田三雄著 近代日本の創造史懇話会刊 別冊2011
青空に映える白色のワシントン記念塔と桜
ポトマック河畔の遊歩道と桜並木
ところ変われば姿も変わる桜の樹形
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『出石今昔』
小雨の出石は、まだ花も無く肌寒い春であったが、意外に観光客の数は多かった。
兵庫県から委嘱されて「兵庫県出石町旧市街都市景観形成地区指定調査」を行ったのは、1986年のことであった。
出石は、山頂の山名氏の有子山城から麓に城が移され、こぢんまりとした城下町が形成されていた。観光資源としては櫓がある城跡や辰鼓楼があり、皿そばが名物である。
維新後に建てられた町家の造りは二階建てが多く、格子と塗り壁におもむきがあった。赤土の色を残した壁色、鳥の子色の上塗りをした壁、白壁と三色の取り合わせが落ち着いた風情を醸し出していたので、これらの三色の壁色を残す家並みの形成をするように色彩基準を提案した。
25年以上が経過した今の出石は、民家の改装が進み、昔の良さが希薄になっていた。
景観形成上の失敗は、壁の色を指定しながら、材質感をないがしろにしていたことから、家屋の改装や建て替えにしっかりとした指針が出せなかったことにあるのだろう。(永田泰弘)
しっとりと雨にぬれた早春の出石城跡
粗壁のままの土蔵の質感が土地の個性を醸し出す
上手く改装された民家の連続性を考えていきたい
大手前の土産物店どうしのつながりと調和