[PDF版はここをクリックしてください]景色通信Vol.72
『シンガポールまち歩記(あるき)』
30年ぶり、2度目のシンガポール。行きたい所だけ巡る、見たくなったらバスを降りてでも見る、といった完全フリーのまち歩きを実施。東南アジアで最も国際的発展を遂げている多民族国家の色彩的側面が見られたらと期待してのスタートだ。◇マーライオンにあっけなく取って代わったランドマーク、2010年開業のマリーナベイサンズ(MBS)をくまなく見てみたい。というのが旅の目的の一つ。そしてもう一か所MBSと真逆のカトン地区訪問はプラナカン文化を知りたいという二極の興味で始まった。時にド観光客、時に在住市民に混じって衣食住を体験した。個人歩きの掟は極力公共交通を使う事。ここからむきだしの国民性や文化度、来訪者にどれだけ優しいかの国際性も見えてくる。数え切れない程の配色パターンのMBSライトアップは毎夜2回15分ずつ見られる。地元民も自慢で訪れる愛される場所だ。MBS屋上からのマリーナ湾が暮れなずむ様は静かな息遣い。◇待望のカトン地区はその昔、中国からの移民で財を成した成功者がマレー人と結婚し築いたプラナカン文化と呼ばれる独特な文化が残り、カラフルかつ繊細な住宅や手工芸品が残る地区だ。これら市内の移動は5本の地下鉄が機能的に走り来訪者でも乗りこなせる。色彩の効果は見えやすく分かり易く、車両内外、通路、ホーム、サイン等すべてに駆使されている。何より人の親切さも日本を上回る点は見習うべきだと感じた、春節前のシンガポールまち歩きだった。(山川やえ子)
天界で泳いだ至福の時はいつまでも心に残りそう
湾へ入る門のライトアップに思わず息をのんでしまう
交通システム全体のデザイン設計は外国人にも解りやすい
新しさを積極的にミックスしていくのがプラナカン流
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『ジョンソンタウン』
3月中旬、色彩教材研究会の地域別サークル活動として、埼玉県入間市にある「ジョンソンタウン」の見学と撮影に行きました。
ジョンソンタウンの歴史は、1939年陸軍士官学校の将校住宅(磯野住宅)から、1950年朝鮮戦争時には「ジョンソン基地」となり、米軍ハウスを建設。1978年に基地返還後は、日本人向けに賃貸されていました。その後2002年には、オーナーである磯野商会の磯野達雄氏が、アメリカ帰りの建築家の渡辺治氏に老朽化した住宅の再生とまちづくりを依頼、2003年平成ハウス1号が完成。「ジョンソンタウン」へと改名されました。ジョンソンタウンには4タイプの建築物があります。そのうち米軍ハウスの外壁は下見板に塗装、屋根はコンクリート。平成ハウスは、バリアフリーになっており、夏期は天井上換気、冬期は床暖房、外観の特徴としては、上げ下げ窓、下見板風のサイディング、屋根はスレートか鋼板が使用されています。(大倉素子)
*2015年:都市景観大賞(国土交通大臣賞)受賞、2016年:土木学会デザイン賞(奨励賞)受賞、2017年:日本建築学会賞(業績)受賞。 参考文献:「ジョンソンタウン再生プロジェクト」磯野達雄・渡辺 治
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