景色通信Vol.37『斑鳩の里をゆけば』

  • 環境色彩研究会
  • 2012年02月13日

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景色通信Vol.37
『斑鳩の里をゆけば』

イカルという鳥が群れ集う里へ政治の中心地である飛鳥から、まさに渡り鳥のごとく移住した聖徳太子。私たち世代には、最初の一万円札の顔としてなじみ深いその偉人とは、どんな人物だったのだろう。
時折細かい雨を受けながら訪れた法隆寺。世界最古の木造建築として、遠くギリシャの影響を受けた中国の様式を伝えたものだ。当時は金色に輝いていた本尊の仏像や鮮やかだった壁画。時の流れとともに色調は落ち着いた色に変わっているが、その黒光りする色艶からは、人間の温かささえ感じることができる。
聖徳太子が母を弔うために建てた日本最古の尼寺、中宮寺の弥勒菩薩半跏像(国宝)は、エジプトのスフィンクス、ダ・ヴィンチのモナリザと並んで「世界の3微笑像」とされている。たいがいの旅人はその微笑みにふれるだけで、心身がほぐれて、慈悲深く考えることの大切さを心に刻むだろう。
粘土を棒で突き固めたクリーム色の築地塀には、何層もの境界線が確かめられる。塀に沿って歩いていると、当時にタイムスリップしたような気分になる。この辺りの景色はすでに、正岡子規の生きた時代にはセピアトーンだったはずだ。侘び寂びの世界でしばらく想いをめぐらしていたら、オレンジ色に輝く柿でも食べたくなった。しかし今でも不思議に思うことがある。聖徳太子はどうして皇位につけなかったのだろう。(加藤進久)


仏教美術の入り口、南大門をくぐる


どっしりと落ち着いた佇まいが圧巻


慈悲深く穏やかな微笑みに見とれる


築地塀には土地の温かみがこもる