「美しい日本の色彩環境を創る」研究会の見学会報告

  • 美しい日本の色彩環境を創る研究会
  • 2018年10月20日

「美しい日本の色彩環境を創る」研究会の見学会報告
開催日:2018年10月20日(土)
場 所:揚輝荘(愛知県名古屋市)
【スケジュール】
13:00 聴松閣(南園) ガイド付き見学
14:00 伴華楼(北園) ガイド付き見学

午前中のWeb会議終了後、揚輝荘南園の聴松閣一階にある喫茶べんがらで昼食を頂く。今回の見学会は、すでにここから始まっていた。旧食堂には、有名寺院の古代瓦がはめ込んである暖炉に、手斧を用いた名栗技法で飾られた床が当時の雰囲気を今に残してくれている。
13時になり、ガイドのモリ氏の解説を聞きながらの聴松閣見学が始まった。旧サンルームに展示された昭和14年頃の揚輝荘を再現したジオラマは圧巻だった。松坂屋の初代社長15代伊藤次郎左衛門祐民が建てた揚輝荘の壮大さが一目でわかる。旧食堂の解説では、面白い見解を得た。モリ氏云く、床全体は大海原で名栗は波を表しているそうだ。かつて国内外の客人や留学生を招いた食堂の床が今も喫茶の床として観光客を迎えていると考えると感慨深い。二階の旧書斎の床は、GHQの名残を見ることができる。二階のヨーロッパ風旧応接室と中国様式の旧寝室、地下のインド旅行を想起させる空間では、不思議な感覚に囚われた。
14時からの北園のガイドはトリイ氏であった。北園は、伴華楼、豊彦稲荷、白雲橋、三賞亭を見学した。昭和12年に建てられた南館聴松閣の外観はハーフティンバー様式を持つ山荘風外観であったが、昭和4年に建てられた伴華楼は明治の残り香を感じさせる和洋折衷の建築といえよう。伴華楼の一階にある奥の部屋では仕掛け扉があり、祐民の茶目っ気な一面を知ることもできた。二階の洋室の床には絨毯が敷かれていたが、それをめくると美しい木口の寄木敷き詰め床が隠されていた。ほんの一部しか見ることができないが、当時は贅沢な空間だったのだろう。
白雲橋は、修学院離宮の千歳橋を模したといわれる廊橋である。北側の天井には祐民の描いたとされる龍の絵があるが、この絵には、女性の横顔が隠されていると2012年に話題になったそうだ。そういえば、二階の座敷にある三保の松原を模した千年杉の欄間にも干支が隠されているらしい。時代を超えた祐民の遊び心には驚かされる。
三賞亭は、大正7年に伊藤家本宅から移築したもので、揚輝荘最初の建物だそうだ。茶室にあがることはできなかったが、障子ごしの丸窓の光が満月のようで、祐民の粋な計らいを受けたような気がした。
色彩環境として特記すべきは、素材色の活かし方とそこかしこに見られる凝られた意匠である。木材を知り尽くした大工の匠の技だけでなく、揚輝荘全体に見られる和洋折衷は、洋と和のバランスの取り方の面白さと難しさを教えてくれるだけでなく、当時の色彩感覚と光の扱い方を伝えている。
一方で、残念な点もあった。それは、北園の老朽化と周辺の高層マンションが庭園の景観を壊しているということだ。しかし、この揚輝荘を当時のままで保存維持、管理することの難しさも考えねばならない。歴史的建造物とそれらを取り巻く景観を、いかに守り発展させていくのか。我々は、歴史的建造物や美しい景観を文化や芸術、美の財産として守り受け継いでいかねばならないのだ。建造物と景観問題が、所有者だけでなく行政や市民に突きつけられている大きな問題であることを再認識した見学会でもあった。(文責:森友令子)